女子高生を引き付けるプリクラの技術経営 ~第1回プリクラトップシェア企業

■ 元はオムロンのエンタテインメント事業
フリューは、元をたどれば、オムロン株式会社の中のエンタテインメント事業であった。それが、2003年に分社してオムロンエンタテインメント株式会社になり、2007年にオムロンからMBO(マネジメントバイアウト)で独立し「フリュー株式会社」になった。

1997年にオムロン内の新規事業として始まったエンタテインメント事業が、最初に開発したのは、顔認識ソフトウェアを利用し、ユーザの似顔絵を作成する『似テランジェロ』という機械である。エンタテインメントマシンだったが、プリクラではなかった。

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『似テランジェロ』(オムロン)

1997年といえば、「プリクラブーム」のまっ最中であり、プリクラを生産しているメーカーが20社近くもあった。1995年にアトラスとセガが共同で開発をした元祖プリクラ『プリント倶楽部』が、全国に28,000台も販売される大ヒットをした影響で、松下電器、船井電機などの大手を始め、多くのメーカーが参入した。しかしそこで生産されたのは、デジタルカメラとコンピュータとプリンタを繋いだだけの原始的なプリクラ機であり、今のようにデジタル画像処理や顔認識機能を持つものはひとつもなかった。当時、もしオムロンが、顔認識技術を利用してプリクラを開発していれば、革新的であったはずだが、オムロンが作ったのはプリクラではなかった。

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プリクラを生産する企業の変遷

結局、『似テランジェロ』の売上は良くなく、売れなかった。在庫をなんとか処理するため、残った機械を使用してプリクラの開発を始めることになった。1998年に開発した『アートマジック』は、業界で初めて画像処理機能のあるプリクラだった。ただし、写真全体の色味を変えるなどの処理のみで顔認識の機能はなかった。プリクラに顔認識機能が初めて搭載されるのは、2003年のことである。

しかし、プリクラに初めて顔認識機能を搭載したのは、オムロンではなくナムコだった。そのナムコのプリクラ『花鳥風月』は大ヒットとなった。

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『花鳥風月』(ナムコ)
参考資料 http://www.am-j.co.jp/newmachine/200306/015.html

すぐにオムロンも顔認識機能を搭載したプリクラを生産したが、大きなヒットはしなかった。オムロンはどのようにして、プリクラにイノベーションを起こす企業になったのだろうか?第2回はフリューの流れを変えた出来事を紹介する。